千歳館の歴史

創業明治9年。歴史と伝統を今に伝えます。

明治九年初春、代々山形市内小白川にて魚問屋の五十集屋(いさばや)をいとなんでいた初代澤渡吉兵衛(さわたりきちべえ)が、両羽銀行(現在の山形銀行)の裏通りにあった料理旅館「小槌屋(こづちや)」の跡を継いで千歳館は開店いたしました。その後、長源寺通り(旧勧業銀行跡地)に移転。二千坪以上の料亭として栄えましたが、明治四十四年五月八日、山形市の多くを焼いた薬師大火で全館を消失してしまいました。

大正四年、二代目澤渡吉兵衛が現在地に鹿鳴館調の料理店を再建いたしました。ちなみに山形の旧県庁(文翔館)が建てられたのは大正五年、東北六県共進会の年です。千歳館は当時、植物園・モダンカフェ・映画館・レストラン・中華料理店・芸妓置屋・ベビーゴルフ場なども経営しておりました。折しも大正昭和初期の政党政治の華やかなりし頃、民政党の拠点として名を馳せました。

昭和九年、仙山線の開通(昭和十二年)に先がけ、二代目澤渡吉兵衛は天童温泉に千人風呂舞鶴荘を開設いたしました。戦時中は一時休業を余儀なくされ、陸軍軍医学校として接収されましたが、昭和二十三年には再開いたしました。

昭和四十七年七月、運輸省(現国土交通省)の国際観光日本レストラン推薦店として、手軽においしい日本料理を召し上がっていただける椅子席ちとせを開店いたしました。同時に、先々代が開園した植物園の名にちなんで、日本庭園で気軽に生ビールを楽しんでいただこうと、ビアガーデン百花園を夏季限定で開店しました。

昭和六十年夏、全館改装いたしまして、椅子席、お座敷、庭園席、より快適な食の空間を整えました。
同時に大正時代の粋人のたまり場であった千歳食堂を和風クラブ松の家を開設しました

平成十二年、大正ロマンあふれる和風クラブ松の家は改装を施し、多用途対応の鹿鳴館ホールに生まれ変わりました。

平成二十三年 十一月、レストランちとせを改装し、割烹居酒屋のようなカウンターの「山形美味いもの研究所素仁庵(そにあん)」となりました。